竹田市の銘菓「荒城の月」などを手掛ける和菓子店『川口自由堂』が2024年5月24日(金)にお菓子の製造を終了し、商品が売り切れ次第のれんを下すということです。
ということで今回は、158年間美味しいお菓子と多くの人の笑顔を作ってきた『川口自由堂』を取材しました。
『川口自由堂』へのアクセス
『川口自由堂』のある場所は、竹田市竹田町。
豊後竹田駅を出て、駅前通りを300mほど進むと左側にお店があります。
商品
御菓子司『川口自由堂』は、慶応二年(1886年)に創業。
店内のケースには、生地に国産の小豆で作ったこしあんを包んだ「三笠野」や、画聖・田能村竹田愛用の印を最中の皮である最中種に用いた「もなか竹田(つぶし餡/ゆず餡)」、大納言小豆を寒天で固めた「みやまきりしま」など、長く人々に愛され続けてきた商品が並びます。
城下町竹田に根付く銘菓「荒城の月」
中でも代表的なお菓子が、黄身餡を丸めその上から淡雪羹をかけ包んだ生菓子「荒城の月」です。
昭和10年(1935年)、岡城跡開発を機に二代目店主が名曲・荒城の月を生み出した瀧廉太郎を記念して創製したこちらのお菓子は、各博覧会・品評会等で三笠宮殿下総裁賞、大臣賞を受賞しています。
口に運べば、ふわふわでしっとりとした淡雪羹と、ほんのりと色づく滑らかな黄色の餡が、卵の香りを乗せ優しい甘さを届けてくれます。
コロンとした艶々の形も、何とも言えず可愛らしいですよね。
今も職人さんが一つ一つ手作りしており、餡も変わらず店舗奥にある工房で自家製造しているので、創業当時と同じ味を保ち続けているそうです。
『川口自由堂』今日までの歩み
四代目店主の川口晃生さんは、地元竹田市の高等学校を卒業後、東京都にある学習院大学へ進学。
理学部に所属し、鉱物や骨の中にある放射性同位体の量を測定してその結果を基に年代を計算で出す放射年代測定などを行なっていました。
また同時に競泳や水球に打ち込み、お腹が減ると故郷から持ってきた「荒城の月」を、表面が硬くなれば小刀で削って食べていたそうです。
そんな川口さんは大学卒業後、同じく東京都の新大久保にあった製菓学校へ入学し、和菓子を1年半、洋菓子を半年学んだのち、28歳の頃竹田市に戻ります。
店を継ぎ四代目店主となってからも「日本一安くて美味しいものを作る」という志を持ち、国産の材料にこだわり老若男女に愛されるお菓子を製造し続けてきました。
然し、人口減少や新型コロナウイルス感染症、そして地球温暖化などの影響で、お菓子に使う寒天やあんに使う豆類、砂糖、小麦粉等の価格が高騰するなど店を取り巻く環境は厳しさを増すばかり。
それでも「竹田の銘菓を残そう」と奮闘してきましたが、2024年5月24日に菓子の製造を終了し、店舗をたたむことになりました。
お店で30年働く女性は「まだ実感がないのが本音だけれど、新聞に掲載された記事を読んだ際にはああ本当になくなるんだと思った。」、「みんな長くこのお店で働いているがそれは店の雰囲気も良かったからだと感じるし、ここのお菓子を買いに来てくれ好きだと言ってくださるお客様から言葉をいただくと多くの人に認知されていたのだと改めて感じる」と話してくれました。
この日、市外で行われる親族の法要に持っていくお菓子を購入するため店を訪れたご夫婦は「竹田市の銘菓といえばここ、市外の人にも味わってほしい」と言い、包まれた荒城の月や三笠野などを笑顔で受け取っていました。
取材の最後、四代目店主・川口さんに今日までのことを伺うと、「店を継いでもう50年近くなるが、あっという間だった。川口自由堂の味を愛し足を運んでくださったお客様には感謝の言葉しかありません。本当にありがとうございましたと伝えたい。」と仰っていました。
『川口自由堂』は菓子製造を5月24日(金)を以て終了します。
店舗での販売は翌日25日(土)までとしていますが、商品が売り切れ次第終了・閉店となりますので、みなさんお早めに地域に根付き笑顔を作ってきた『川口自由堂』へご来店くださいね。
情報はこちら
店名 | 川口自由堂 |
住所 | 大分県竹田市竹田町545 |
定休日 | 無し ※菓子製造は2024年5月24日まで。販売は25日まで行う予定だが、商品がなくなり次第終了。 |
営業時間 | 08:00~19:00 |
電話番号 | 0974-63-3258 |